法令遵守と学習意欲の乖離と背理

コンプライアンス」(法令遵守)というスローガンは、この10年余で、日本社会にすっかり定着した感がある。

実際に守られているかどうかや、理解が浸透しているかどうかは別の話であるが。

 

メディアとか大衆の「法感覚」というものにもいろいろ思うところはあるが、逸れるので詳しくは別の機会にしたい。

が、今回の記事の前提として、予めいくつかは言及しておく必要はあるのだが。

・「法は当然守らなくてはならないもの」という「真っ当な法感覚」自体が希薄な部分や、そのための訓練そのものが欠如・不十分な部分が多すぎる

・また、その前提として各種「法」エスタブリッシュメント(「法」に直接関与するエスタブリッシュメント)の恣意性が強い、またはそのような印象を大衆に与えてしまっている

・教育課程や大人になってからの、法リテラシー・政治リテラシー涵養やその機会自体が希薄

・法や法構造・法理論、法言語(法を語る・記述する言語)の必要以上の複雑さと分かりづらさ

・日本人の事大主義・権威主義・専門家(資格)主義による「思考停止」と「丸投げ」

etc.

 

自分も業界や業務柄、法令とか法改正の知識・情報には敏感である、少なくともそうなくてはならないのだが、「コロナ禍」のもとの諸政策で、精神自体はともかく、「積極的な学習意欲」そのものは、一挙に減退するのを覚えていった、という経験があった。

今回はその経験について簡単に語りたかったのだ。

 

安倍政権下では特に、「閣議決定で、〇〇を△△と決定した」という文言を、頻繁にメディア上で聞くようになった印象がある。

これが自分には、中国の故事成語(「鹿を指して馬と為す」)からの連想で、「閣議決定で、鹿を馬と呼ぶことに決定しました」と毎回連呼されて、神経がマヒするような感覚を覚えていったのだ。

政治家が、自らの権力と権威で、法とか、政治的現実を恣意的に支配するのを、ひたすら目の当たりにさせられ続けてきた、ということだ。

 

もっとも、これは良し悪し関係なく、という部分もある。

つまり、政治家がどうという以前に、社会と世界の変化が激し過ぎ、政治や法の対応のスピード感へのニーズが圧倒している、という状況があるからだ。

 

が、やっぱりいざ出来上がってきた法律だの政令だのを見ると、業界当事者からは、「?????」としかならない訳の分からない論理や規則、手続きの流れだらけの羅列に過ぎなかったりする。

「法」というのは、本来、混乱した社会やその秩序を再整理して方向づけるところに目的がある。

が、現代はその逆に、「法」そのものが徒に社会を混乱させ疲弊させる元として作用する部分もまた少なくない、ということなのだ。

 

コロナ禍というのは、状勢の時々刻々の変化の中で「朝令暮改」を迫られる状況だった。

上述の通り、政府の出す法令の中身や論理、方向性がぐちゃぐちゃだと、「一体何がやりたいんだよ?」と、一挙に怒りが噴出し、それは瞬く間に「無力感」へと変わっていく。

それは、政治家や官僚に対する感覚とイコールでもある。

「こいつら、ここまで愚劣で無能だったんだ」という…

現場に関する知識や情報がないと、法や政策というものが、いかに実態と乖離した非現実的なものになるのか、という話なのだ。

 

また、法や政策というのは、読み込み、理解するのにも、また人々に周知徹底するにもそれなりの時間がかかるものだ。

現代のように巨大化・複雑化した社会は、そもそも「朝令暮改」には適応できないようにできている。

無論、権力により、無理くり法や政策を決定し施行することはできるが、それをすれば社会の混乱と消耗・疲弊を惹起するのは既知である。

 

馬鹿げた法や政策、またその連続のもとでは、「頑張って学ぼう」という意欲そのものが空洞化する。

「法で最低限決められたことだけ守っとけばいいや」という投げやりな姿勢へと変貌していくのである。

 

権力には法を定める所定の権限があるかもしれないが、「コンプライアンス法令遵守)」を含めた「法感覚」というのは、ただ法で決めれば方向づけられる、というほど簡単・単純なものではない。

政治と法の公正さや信頼感があって、初めて成り立つものなのだ。

安倍政権(以降の自民政権)というのは、「権力の恣意性」に溺れて、そうした「市民的現実」から遊離・乖離していった政権なのだと思う。

 

腹が立ってくるのは、「メリットもないのに、時間や労力、情報ばかり搾取してくるな」という規則ばかりを押し付けられることなのだ。

守ってもトクすることが少しもなく、「役所から一方的に搾取される」ことだけが降りてくる。

さらに、せっかく行政のIT化を推進しているのに、それをろくに活用することすらできず、これまた混乱のもとになってしまっている。

 

「法・政策の愚劣さ×政治家・官僚の無能×それによる社会の混乱」によるアパシー(政治的無関心)は頂点に達する。

こうした混乱で活躍できるのは、その隙間を突いて利を生もうとする詐欺師やフィクサーの類であり、そうした動向は無力感にますます拍車をかける。

こうした連続性の中を、どうにかくぐり抜けたコロナ禍の3年間だった、と振り返ることが出来る。