SNSとの距離感と、「ナマ情報」への生理

現代人の社会生活からはSNSが不可欠となって久しい。

各人の目的により嗜好により、様々なSNSを使い分けている筈だ。

筆者自身は、「個人的な積極的発信手段」としてのSNSは、ブログだけにしている。

(他にもこまごまと挙げることは可能だが、「主力」としては、という意味合い)

 

ツイッター(現X)も、数年前まで、廃人レベルでやっていたこともあるが、次第に頻度や比重を減らし、今や見る専アカウントまで削除するに至った。

SNSは、無視してないし必要でもあるものの、「結構な距離感」を持って付き合うようにしている。

変な「大衆トレンドや流行」を、自分の生理に入れたくないからだ。

「すぐに処理できないナマ情報」も同様である。

 

自己内部の「情報過多」を注意深く避けるようになった訳だ。

ブログベースにしたのは、「情報収集」ではなく「発信」のみに比重を置くようになったからだ。

(人のブログは、興味ベースではあまり見ることがない)

 

「ナマ情報」というのは刺激が強い。

色々なきっかけになり得る反面、処理できるキャパがないと、徒らな混乱を招くリスクもまた存在する「取扱要注意」品なのだ。

アンテナは可能な限り拡げておきたいという気持ちがある一方で、「それだけの器がないと受け止められない」という現実的な見方もしている。

ブログ発信というのは、その「器」としても位置付けている訳だ。

 

また、「ナマ情報」には「ノイズ」も非常に多いし大きい。

というよりは、大半はそうだと捉えても良いだろう。

偽物も多ければ、重要性がない・薄いもの、単なる宣伝なども非常に多い。

 

しかし一方で、「情報収集」もまた不可欠である。

良質かつ必要な情報だけで満たすためには、フィルタリングの能力や環境の精度を不断に高めていくよりない。

 

SNSへの距離感があるのは、「関係重視」の生活ではないからともいえる。

というより、個人的な「リアルの人間関係」と「ソーシャルメディア」を、ある程度区切っている、というのが正確かもしれない。

一緒くたにする必要が特段ない、と気づいたのが大きい。

(そうした「関係構築」のあり方というのは、現代ではやや特殊かもしれないが)

 

現代の情報の洪水の中で、「ナマ情報」に溺れたくないために、実生活上も様々な工夫を凝らしているが、その一つがSNS対策と言えるだろう。